ぼのぐらし。

コミックエッセイ、日常の記録など

ぼのこと女社会2【第47話-1】

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前回のおはなし【第46話-2】

ぼのこと女社会2【第1話】

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あとがき

 

懇親会が終わるまでが店長会です。 

 

 

大人数での会食が得意でないぼのこ。

無事、発表役の役目を終えたと思ったのもつかの間

気分は一気に憂うつに…

 

 

さて、マキコさんの言った

「つもりになりがち」

という言葉。

 

 

実際、私自身もつい

「わかったつもり」

「知っているつもり」

になってしまうことあるんですよね。

 

 

伝聞から得る情報や知識というのは

あくまで確率的なものであり

 

 

そこから考えられる原因分析の多くは

確率的推論にすぎません。

 

 

例えば「AならばB」という

知識を私たちが持っていたとして、

 

 

「Bである 」という事実(=X)が

目の前に存在することで

私たちはつい

「Xの原因はAにちがいない!」

と考えてしまうのです。

 

 

これを今回のケースで当てはめてみた場合、

「人員が少ない(A)と売上が取れない(B)」

「東の百貨店は売上が取れない」=X

東の百貨店の売り上げが取れない(X)

原因は人員不足(A)だからだ!」

と考えてしまいがち…

 

 

しかし実際には

①人手不足が原因かもしれないし

②人手不足は多少関係はするものの

もっと深刻な要素が根の部分にあるかもしれなし

③人手不足は全く関係なく全く別の原因が存在するのかもしれない

 

 

つまりこれがどういうことなのかというと

伝聞から得た知識や情報というのは

あくまで「○○の確率が高いよ」というものであり、

 

 

その時の周り、あるいは自分自身の

状況や環境によって

その確率というのは揺らぎを伴うということ。

 

 

どんなことでも結局最後は

自分自身の手で

実際に試してみるしかないのです。

 

 

伝聞による知識や情報はあくまで

自身が行動する際の参考資料程度に

事実は自分の手で掴むもの

そう思うぼのこなのでした。

 

 

次回へ続きます!

 

 

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